PREV| PAGESELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | コメント(-) | トラックバック(-) | TOP↑

≫ EDIT

人は、みな

いつもの朝風呂で、なぜか突然、
高校時代のある数学教師のことを思い出した。

「依存」ってことを漠然と考えていた時だった。

前の晩の巨人軍の勝ち負けで、
あからさまに機嫌の変わる 
どう~しようもない先生だった。
巨人が負けた次の日の
奴の八つ当たりの餌食になる生徒は
本当にかわいそうなものだった。

そうか、あいつは依存してたんだなぁ。
巨人軍の勝敗に依存して感情が左右されてしまう。
そこに自分という主体はない。
自律していなかったんだ。
自律していない教師… …たまらんなぁ。

目の前の事象は、
ひとつの事実にしか過ぎない。
しかしその事象に反応して、
ある種の感情を、人は どうしても持ってしまう。

その意味で人は、みな感情の動物だ。
しかし、その時、その事象に反応して
その感情を生み出してしまったのは、自分だということ。

そういう感情を育ててしまったのは、
他ならぬ自分自身だということに気付くと、
自分を俯瞰してくれるもう1人の自分みたいな視点から
その感情に対して係れるようになり、
主体的に感情をコントロールできるようになるんじゃないだろうか。

「全ての源泉は自分にある。」
そう思えるようになることが大切なんでしょうね。

目の前で起こっている事柄や誰かの言動によって
感情が揺れ動いてしまうのでは、
相手によって反応させられているだけ。
依存してることになってしまうのではないでしょうか?
相手が主体で自分の感情が決定されることになってしまいます。

自分の行動まで相手に依存して決めてもらうことが、
楽な時もあるかもしれません。
が、それでは自律している、あるいは自由である とは言えません。

人はやはり、自分が主体で自由で自律しているべきだと思うのです。



スポンサーサイト

| 未分類 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://mareri.blog39.fc2.com/tb.php/229-ba63851a

TRACKBACK

PREV | PAGESELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。